松戸市
天皇陛下の執刀医・天野篤医師も奮起した、外科医を「本気」にさせるいい紹介状とは?〈dot.〉
内科医から外科医へ――。手術が必要な患者を依頼するときに書かれるのが「紹介状」だ。仙台厚生病院理事長の目黒泰一郎医師(循環器内科医)はかつて、心臓外科医の天野篤医師(現・順天堂大学順天堂医院院長)に紹介状を送り、天野医師はその期待に応えようと努力した。週刊朝日ムック「いい病院2018」では、二人の紹介状にまつわる対談を掲載している。
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――循環器内科医である目黒先生は1996年ごろ、仙台市から千葉県松戸市にある新東京病院の心臓外科医、天野先生に患者を紹介していたそうですが、お互い面識がなかったにもかかわらず、どういう経緯で当時無名だった天野先生に手術を依頼することになったのですか。
目黒:当時私がいた仙台市北部の病院に心臓外科はなく、心臓手術が必要な患者さんは他院の心臓外科にお願いするのが原則でした。しかし、近隣の心臓外科医にお願いしても、いい結果が得られないことが多く困っていたんです。ですから、「いい外科医」を探しては手術をお願いし、最初は簡単な症例を送ったためか、外科医に気合が入っていたのか、うまくいくのですが、ステップアップして難しい症例になるとうまくいかない。そういう状況が続いたんです。
天野:最初は失敗できないという気持ちも強いでしょうからね。
目黒:もう宮城県内ではどこに紹介しても同じと思っていたとき、部下の医師から提案があったんです。
「友人で新東京病院に勤めている麻酔科医がいる。その友人が言うには『天野先生というとてもいい心臓外科医が(新東京病院に)いる。近隣からすごく患者が集まっていて、とにかく失敗がない』。彼の言うことは信頼できます」と。
それで頼んでみようと思ったわけです。まずは新幹線に乗って、松戸まで行ける患者さんからお願いしようとなりました。
■認められるか否か「つまずいたら、次はない」
天野:プレッシャーもありましたね。目黒先生は東北大出身のエリート医師で、その頃、心カテーテル治療の名医として評判でしたから。まだ面識はなかったんですが、自分には、まぶしい存在。そんな先生から紹介状が届いたので、努力して「認められたい」と思いました。
目黒:それは光栄なことです。
天野:循環器内科医は、目の前の患者さんをカテーテルなどの内科的治療で治すことができない状況で「患者さんをなんとかしてほしい」「手術で治してくれ、頼むぞ」と言って紹介してくるわけですから、循環器内科医が患者さんを思う気持ちを心臓外科医は受け取ります。人間だから「何とかしよう」という気になりますよね。
目黒:私が書いた紹介状がすごいかというとそうでもなく、淡々としたふつうの内容だったと思います。ただ、なぜ宮城県から患者さんを送ることになったのかという背景などを中心に書きました。内容がどうであるかより、遠距離で患者さんを送ること自体が「あなたを信じている」というメッセージでした。
県内にも心臓外科医がいるのに、それを飛び越して、出身大学の医局とも関係ない天野先生に患者さんを送るのは、ある意味、医療界の"おきて破り"をしているんです。「もう後には引けない」という決断をして紹介状を書いていたので、天野先生も相当プレッシャーを感じていたのではないでしょうか。
天野:そうですね。正直、1件目の症例はあまり覚えていないのですが、あるとき目黒先生がハードルを上げたのがわかったんです。冠動脈の再手術の症例で、バイパスに使ういい血管はすでに使われている。限られた材料で仕上げなければいけない難手術でした。方法をいろいろ考えて、論文も全部見て、経験もすべて出し、手術をしました。それがターニングポイントでしたね。あそこであきらめていたら、今はないなと思います。
目黒:天野先生の手術を受けた患者さんは、短期間で元気になって帰ってきました。しかも合併症もない。それで、だんだん重症度の高い患者さんを送ったんです。
天野:目黒先生に、認められるか否か、二つに一つ。「1例でもつまずいたら、次はないな」と思っていました。また、完璧な状態で患者さんをお返ししないと、仁義を果たせないとも。患者さんの紹介と手術を繰り返していくなかで、個人の技術もチームの力も熟成され、すごく成長させてもらいました。
目黒:かなり難しい手術をお願いしようと、検査データなどを宅配便で送ると、天野先生から電話が来て、簡単に「はい、できますよ」と(笑)。そして、毎回、患者さんは決まった期間で元気になって帰ってくる。次第に信頼は増していきました。
天野:1年間で70例くらい目黒先生の紹介の患者さんを手術したと思います。
目黒 患者さんに、松戸まで行ってもらう理由を説明しやすくなっていきましたね。「私が自信を持ってお勧めできる心臓外科医は天野先生です」と。
天野:目黒先生がすごいのは、こっちが術後に手術報告を送りますよね。当時は、白紙の紙にサインペンで書いて、仙台にファクスを送っていましたが、深夜でもすぐに返事が返ってくる。「いったい、いつ寝ているんだろう? すごい人だな」と。あるときは返事とともに、次の手術依頼まで来ました(笑)。
目黒:すいすいと天野先生が手術してくれるんで、こちらもずいぶん助かりましたね。私が仙台厚生病院に移った後も、当初は心臓外科がなかったので、患者さんの紹介を続けました。
■「連戦連勝」のすごい心臓外科医
――おふたりの初対面はいつで、どんな印象でしたか。
天野:最初の紹介から2、3年後に学会で会いました。それまでのやりとりのとおり、言ったことをちゃんとやる人だなと。紹介状で手術の内容をこまかく指定してくる内科医もいますけど、目黒先生はそれとは対照的。こまかい指示はなく、患者さんとの出会いから、患者さんの将来をつくるためにこういう理由で手術が必要なんだということが書かれていました。いっしょに考えながら、患者さんとつきあっていける感じでした。
目黒:当時から天野先生は、卓越した手術をしていましたが、とにかく毎回、失敗がない。会ってからも連戦連勝のすごい心臓外科医という印象は変わりませんでした。
――おふたりには特殊な背景があったようですが、一般論として、外科医を本気にさせる紹介状はあるのでしょうか。
目黒:内科医が外科医に紹介状を書く上で大事なのは、いい検査をして、必要な情報を送ることです。そして、「手術をしたらよくなる」という必要性を見極めて患者さんを紹介することです。手術の必要がない症例や誰でも治せる症例を依頼されても外科医はモチベーションが上がらないでしょう。言葉のテクニックではなく、やりがいのある症例を「先生でないとダメなんです」という姿勢で送ることがコツではないでしょうか。
天野:外科医としても、内科医が「やりようがなくなったから」と放り出して送ってくる症例では、本気になれません。目黒先生からの紹介にはそれがなかったし、患者さんを思う気持ちがありましたね。
私のところに紹介状を書いてくる主治医には、「簡単でいい。ただ、飲んでいる薬はちゃんと書いてほしい」と伝えています(※注)。それとできれば、外科医の立場を考えた気遣いのある紹介状がいい。だから、字が汚くて読めないとか、情報の漏れはダメです。
――患者が「いい紹介状」を書いてもらうコツはありますか。
目黒:いい病院、いい医師を紹介してくれるのが「いい紹介状」です。そのような紹介状を書いてくれる医師に共通しているのは、問題が発生したとき、患者さんからお願いしたときに、すぐ、快く紹介状を書いてくれることです。その逆の対応をされた場合は、迅速に医師を替える、病院を替えるのが、「いい紹介状」を書いてもらうコツの一つです。
天野:患者さんは、紹介状を書いてもらいやすいよう日ごろからかかりつけ医と関係を築いておくことです。切迫して急にお願いするのはよくありません。そのためには、診察時に問題点を絞って無駄のない受診を心がけるなど、「いい患者」であるべきです。そして、紹介状を書いてもらったら、すぐに行動することです。
(※注)特にその当時は人工心肺を使用した冠動脈バイパス術の時代だったので、抗血小 板剤の服薬は手術日を決める重要な要素だった。
(構成/編集部・杉村 健)
天野篤(あまの・あつし)/1955年生まれ。医師・日本大学医学部卒。新東京病院には91~2001年に在籍。02年、順天堂大学医学部心臓血管外科教授。12年2月、天皇陛下の心臓バイパス手術の執刀医となる。16年、順天堂大学順天堂医院院長に就任。現在、仙台厚生病院の心臓血管センター長(非常勤)も兼務し、月1回同院で手術を実施
目黒泰一郎(めぐろ・たいいちろう)/1947年生まれ。医師。東北大学医学部卒。東北厚生年金病院循環器科医長、仙台社会保険病院(現JCHO仙台病院)循環器科部長などを経て、96年に仙台厚生病院に。2001年、同院院長兼心臓センター長。06年から理事長。心カテーテル治療の名医で、国内でいちはやく「橈とう骨こつ動脈」からカテーテルを通す方法を取り入れた